■がんばる 女性消防団員
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神戸市消防団の概要
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概 要

本 部:西区役所 神出連絡所

所在地:西区神出町田井50

電 話:(078)965-1001

団員数(定数):261人

分団・班数:9分団・18班

神戸市西消防団神出支団

活動報告お知らせ団紹介

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藤井副支団長「防人賞」の受賞、おめでとうございます

 4月24日、西神オリエンタルホテルで「西消防団懇親会」が開催されました。岡口神戸市副市長、岡田消防局長、鍵本西消防署長、梶川西区長、辻本西自治会長、井上西婦人会長をはじめ大勢の関係者のご参加をいただき、楽しい会となりました。

 懇親会に先立ち、西消防団神出支団の藤井副支団長と櫨谷支団の柳瀬副支団長が、梶川西区長より「防人賞」を受賞されました。これは、西区民の安心で安全な暮らしを守るため、西区において長年にわたり防災活動に従事し、特に功績の著しい消防団員に対し、西区長から、感謝を込めて、その功績をたたえるために贈られるものです。
神出支団では、穴田勝進顧問、野口支団長、穴田支団長、佐伯福支団長が受賞しております。

盾と花束を手に記念撮影
(右から、藤井副支団長、柳瀬副支団長)

梶川西区長から防人賞を受賞


受章者の記念撮影(前列左から、安尾相談役、梶川署長、北井団長、柳瀬副支団長、藤井副支団長、梶川西区長、井上西婦人会長、辻本西自治会長、後左から山田伊川谷、藤原平野、高尾櫨谷、穴田神出、中村押部谷、谷口岩岡各支団長)

(Update2015/05/12)
 

神出町の防災への備えについて


西区シンポジウムで「災害時の備え」について報告した前渕神出町自治協議会長

 平成27年2月19日、西区民センターのなでしこホールで、震災20年事業「西区防災シンポジウム」が開催された。

 阪神・淡路大震災から20年目の節目を迎えるのを機に、震災での経験と教訓を見つめなおし、今後起こりうる災害への備えについて考えるいい機会であった。
 木村玲欧兵庫県立大学准教授の講演「今、見つめなおす阪神・淡路大震災の教訓と南海トラフ巨大地震への備え」、鍵本敦西消防署長の消防士の体験談「阪神・淡路大震災時、長田消防署での消火・救助活動を通して得た教訓」、玉津町自治会、井吹台自治連合会の「災害時の備えについての地域団体の報告」に続き、前渕芳信神出町自治協議会長が神出町の事例を紹介した。
 その概要は、神出町の紹介、震災後の神出防災コミュニティーの設立、神出町総合防災訓練から自治会ごとの防災訓練、高齢者の災害時の避難など神出町の安全・安心のための取組みなどであった。

神出町の防災への備えを紹介している
前渕会長

震災20年の節目の神出町防災訓練の
事前打ち合わせで挨拶する前渕会長

 神出支団は、神出防災コミュニティーを支援して、防災訓練、運動会での競技「みんなで守ろうわが町を(簡易短歌搬送競技)」などで協力・支援している。

 ⇒ 震災への備えについて 神出町自治協議会会長 前渕 芳信 (PDFファイル)

(Update2015/03/17)
 

中学生の絵で震災の教訓の伝承(その1)

 神出ふれあいのまちづくり協議会は、2月15日「防災の教訓の伝承」のパネル(2m×4.5m)の除幕式を執り行った。

 これは、阪神・淡路大震災20年の節目を迎え、震災の教訓を風化させず、日ごろの防災意識を高め、自助、協助精神の高揚を図り、さらに安全・安心なまちを目指すことを目的に作成され、神出支団の消防器具庫の壁面に設置された。

 パネル周辺には、震災の被災状況の写真が配置され、その内側に、神出中学校138人の生徒が描いた絵から選ばれた約30点が配置されている。その中には、神戸市が進めているシェイクアウト訓練の絵(机の下に緊急避難する)や、震災の被災状況、神戸市の未来を描いた絵などがある。

 除幕式は、穴田泰久支団長が司会・進行した。神出ふれまちの田中敏憲会長は、挨拶で、災害への対応の良いDNA(できることを、納得して、遊び心を持ってする)、悪いDNA(できることを、何もしないで、あきらめる)、防災・福祉(ふつうに、くらせる、しあわせを)の大切さを紹介した。

 中川西区長は、これは、もっとも地域に根差した大震災20年の節目の事業で、震災を受け継いでいくことの大切さをお話しされた。

 大震災時に長田消防署で現場の最前線で活動した、鍵本西消防署長が、田中会長のDNAを受けて、「できるなら、何事もなく、朝を迎えたい」と防災への備えの大切さを話された。

<神出ふれあいのまちづくり協議会>

 神出町自治協議会会長を会長とし、神出町の各種団体長で構成され、お年寄りや障害者、子供たちなどが、あたたかいふれあいの輪のなかで互いに支えあって、生きがいのある快適な生活を送れるまち・心の通った住みよいまちにしていくために、町民と市が力を合わせて、地域福祉の取り組みをしようとするもの。(神出支団の委員は、支団長と副支団長の3名)

<シェイクアウト訓練>

 2008年にアメリカで始まった、事前登録、事前学習、訓練開始、振り返りの4段階を踏まえた新しい形の訓練。時間になったらその場で、「3つの安全行動」(まず低く、頭を守り、動かない)を実施する。神戸市では、本年1月15日10時に実施された。  

中学生の絵で震災の教訓の伝承(その2)

 除幕式後の講演会では、鍵本署長の長田での体験のお話と、参加した中学生を前に、震災当時中学3年生だった神戸市消防局の芳澤輝雄司令補が、垂水区での地震の体験を語り、「中学生は被災者を助けることもできる年齢。日ごろから災害に備えること」をアドバイスした。

 除幕式のあと、民生の方々が作った、餅入りの豚汁とおにぎりをいただいた。

 この除幕式は、翌日の神戸新聞で紹介された。


出典:神戸新聞 朝刊 2015年2月16日

(Update2015/02/24)
 

木村忠夫さんと阪神・淡路大震災「神戸市消防団の活動と教訓」

 昨年の命日に、木村さんのご自宅を訪問した。奥様はお元気で一人住まいをされている。息子さんは、大久保で住居を構えて、会社に勤めながらお母様を助けて農作業をしている。

 「勇峰義心忠道居士」、平成23年10月14日になくなった、木村忠夫さんの戒名です。

 NHKでは、「阪神・淡路大震災20年、あの日を胸に生きる」を放映している。もうすぐ、20年目の5時46分が迫っており、東遊園地、北淡震災記念公園、諏訪山から中継していた。あの悪夢が鮮明によみがえった。

 西消防団は震災当日、西代で消火活動に出動した。陣頭指揮を執った木村元団長の歌、「火の海と 天なす黒煙(けむり) 目前に 湾岸戦と 団員の言う」を思い出した。
 これは、現場で筒先をもって消火活動をした佐伯本部分団長(現副支団長)が、山麓バイパスから眺めた神戸市内の様子を湾岸戦争にたたえたことを読んだ歌である。

 2月19日に西区防災シンポジウムが予定されている。前渕芳信次期神出町自治協議会会長が、神出町防災コミュニティの防災訓練を紹介することになっている。

 2006年に木村元団長も、佐伯副支団長が会員になっている「失敗に学ぶ」活動している失敗学会(会長は畑村東京大学名誉教授)の大阪夏の大会で、「阪神・淡路大震災における神戸市消防団の活動と教訓」と題して、講演された。自身が作られた歌を織り交ぜながらの紹介で、大変好評であった。

 震災20年の節目に当たり、ご紹介する。

 ⇒ 「阪神・淡路大震災における神戸市消防団の活動と教訓(木村忠夫)」
                     (PDFファイル)

(Update2015/01/19)

 

木村忠夫さんと神出小学校百周年記念


消防団による神出小学校百周年記念での七色記念放水

 木村さんがまだお元気な時、穴田勝進元神出副支団長の藍綬褒章受章祝賀会の準備で、ご自宅を訪問した際、床の間に飾られていた一枚の写真が目に留まりました。
 それは、神出小学校百周年記念の事業での消防団による七色記念放水の写真でした。当時、この写真を含めて百周年記念写真を、記念行事にご協力いただいた関係者に贈呈したが、そのうちの1枚でした。
 懐かしい写真でしたので、お借りしてコピーしたのが、この写真です。

 百周年記念行事の計画・運営に携わったのは、当時神出支団の本部分団長であった、現佐伯副支団長でした。従来の式典・懇親会に加え、神出町民が参加する神出祭りを計画し、開会式でPTA会員の稲田さんの協力による放鳩、新々田、吉生、北の獅子舞などの地元芸能の紹介、百周年記念で製作した神出音頭の披露、神戸市消防音楽隊による演奏、最後を飾ったのは消防団によるカラー放水でした。

 木村さんから、消防団員が計画しているとのことで、全面的に協力しようとの温かいお言葉をいただき、穴田元副団長はじめ本部役員が協力してくれました。木村さんの依頼で消防署の協力を得て、当時神戸市消防出初式で船舶が行っていた、カラー放水を参考に計画した。カラー水が校庭の南側の商店街、北側の校舎にかからないよう両サイドで水の放水で壁をつくる配慮もした。これを契機に、神戸市出初式で消防団の放水がカラー放水となったこともあった。

 平成23年11月、神出音頭を作曲いただいた手島隼人先生が神戸市文化活動功労賞を受賞されました。手島先生が作曲した神出音頭は、神出町で歌い・踊り続けられており、佐伯副支団長が発案し、穴田勝進相談役、田中神出町自治協議会、坊池市会議員なども推薦者として加わり、お世話になった手島先生への恩返しができました。木村さんも喜んでいただいていると思っています。


矢田神戸市長(当時)からの贈呈


手島先生の喜びの写真

神戸市文化活動功労賞:手島 隼人(てしま はやと)
                芸術・音楽(合唱・作曲) 

 神戸市の音楽専科教員として勤務する傍ら、オリジナル作品を歌う合唱団「麦の会」の作曲・指揮を39年にわたり行い、7回のリサイタル等で作品を発表するとともに、神戸市母親コーラス交歓会や兵庫県合唱祭などに連続出演している。また、ウィーンのコンツェルトハウス、リトアニア国立ドラマ劇場でも自作品を演奏したほか、多数の校歌・園歌・記念歌・音頭等の作曲やPTAコーラスの指導などの音楽教育活動に尽力してきた。
 その他にも、作詞・作曲(組曲、音俳等)、詩曲集の出版、美術活動(古民芸の保存・研究等)、文学活動(個人誌「麦」出版等)など幅広い文化活動を展開するなど、長年にわたり本市の文化芸術の振興に貢献している。

(Update2014/01/16)

木村さんを偲んで

 神出町公園に続く道路脇の三角公園に、神出町のほ場整備記念碑(双嶺乃郷)がある。貝原元県知事との合作の「神代より開けし田畑、改良の偉業なしたり双嶺乃郷」の歌が、凹凸のある石の形状に沿って刻まれている。地域活動に貢献した歌人・書道家の木村さんを思い出す。

ほ場整備記念碑「双嶺乃郷」貝原知事

神出のほ場整備完成記念の歌

 木村さんは、江戸中期の漢詩人、梁田蛻巌(やなだぜいがん)の十代の遠孫。蛻巌は、親交のあった新井白石を含め、江戸五賢人の一人。後に、明石藩に儒官として召抱えられ、藩主の教育係を務めた。(百科事典より)

 江戸時代に灌漑用水を確保するため作られた、明石川から約5Kmを野々池に向かって高い台地に向かって流れる林崎疎水の造成を、長く子孫に伝えるため記念碑が作られたが、記念碑の撰文したのが蛻巌である。(林崎掘割渠記碑より)

 神出消防団長として、地域と連携した防火・防災訓練、啓蒙活動にも力を注いだ。地域の防災訓練、雌岡山での山林火災訓練、救命・火災出動を模した運動会競技「守ろう、わが町を」の計画・実施。参加者に驚きと感動を与えた、小学校百周年記念行事に花を添えた7色のカラー放水を計画・実施。


町民運動会での、「守ろう、わが町を」の競技でのタンカつくり

神出町防災訓練で、消防音楽隊長の報告を受ける木村さん

 自らも資格を取り、心肺蘇生法の普及にも努めた。震災の年の正月、神戸市消防出初式に向かうバスでの新年挨拶で、最近の異常気象、九州普賢岳噴火などから、神戸での地震発生を懸念された。残念ながら現実のものとなった。阪神淡路大震災対応は、最も困難を極めた活動一つであった。震災当日の夕方から、西消防団を指揮して長田地区へ出動し、初めての地域外活動で困難を極めたが、指導力を発揮して、無事任務を全うされた。

 「火の海と天なす黒煙(けむり)、眼下にし、湾岸戦と隊の言う」
(この歌は、長田への出動中の団員が山麓バイパスから見えた地震の火災現場を湾岸戦争に喩えたことを受けて、木村さんが作った歌。)

応援出動した長田区戸崎通・西代通の
火災現場(消防機動隊提供)

活動中の西消防団(日本消防協会提供)

穴田勝進さんの叙勲のお祝い会では、穴田さんの経歴と受賞歴を、原稿を見ずに一言一句の間違いもなく紹介することができた。記憶力に優れ、弁論が上手であった木村さんを思い出す。

 バスでの消防団の研修旅行で、バスガイドがいなかった。ガイドにも勝るとも劣らない鳥取地方の観光案内や、仏教の解説などを披露、知識が豊富な木村さんを思い出す。

 年末の夜警では、おいしい神戸牛ホルモン鍋とテールスープを作ってくれた。料理が上手だった木村さんを思い出す。


木村団長の手料理を楽み、笑顔の消防局長さん達

 趣味は囲碁、詩吟、薬酒造り等、皆さんも思い出してほしい。

 神出町を含む西区で放火が多発した。警察、消防署、自治会と協力して警戒パトロールを行い、幸いその後発生していない、この対応を木村さんはどのように見ていたのだろうか。木村さんが納得するような消防団活動を継続していきたい。

 ご冥福をお祈りします。

瑞寶雙光章の祝賀会で、井戸県知事、
矢田神戸市長らご来賓から
ご祝辞を受ける木村ご夫妻

藍綬寶章に続き、瑞寶雙光章を受章された
木村ご夫妻

木村さんの古希のお祝いでの記念撮影

木村西消防団団長時代に創設した、
辞令交付式で挨拶する木村さん
(Update2012/08/02)

神出支団の歴史

神出の消防は、明治10年頃の火消組等の私設消防を起源とし約120年の歴史があります。この間、地域から消防に対する物心両面の支援を受けながら、日常訓練、防火・防災活動等を通じて、地域から信頼される消防団となっている。

  • 明治10年頃に、村内大字ごとに、火消組、相互組等、村の消防として組織されたのが私設消防の始まり。村人は、火災を知らせるために、鐘・太鼓を用い、各自水鉄砲・消火桶・鳶口等を持ち消火に従事した。
  • 明治16年、田井・東地区にはじめて、「龍吐水器」を購入・活用され、その後各地区に普及した。操作使用は、村の青年があたるも、統制もとれず又器具も不完全であり、出火の場合ほとんど全焼のありさまで被害も甚大であった。
  • 明治27年頃、性能の悪い龍吐水器をあきらめ、「雲龍水」と称する器具に変更した。これは、後に主流となる「腕用ポンプ」に類似した消火器具で、ホースをもって放水し、効果もあったことから各地区もこれに切り替えていった。



  • 明治27年2月9日の内務省勅令第15号による「消防組規則」が制定され、消防組の組織及び基準を定め、設置権は府県知事となった。
  • 大正5年、村会議を招集し、公設消防の設置要請を決議、兵庫県知事に申請した。同年3月25日、県告示第95号により神出消防組の設置が認可された。第1部から第14部、組頭1名、各部に小頭2名、消防手581名、総員610名で編成され、初代組頭に藤本忠一氏が就任した。
  • 昭和22年3月1日、明石郡神出村が神戸市に合併し垂水区に編入された。
  • 同年4月、消防団令の公布により、戦前及び戦時中の、消防組、防護団に続く警防団は、発展的に解消され、同年10月の神戸市条例の公布により、11月に18分団(本部を除く)324名をもって神出消防団が誕生した。



  • 昭和36年3月、消防団審議会の答申を受け、18分団270名の消防団となった。

    第9回兵庫県消防操法大会
    「小型動力ポンプ」の部に
    出場(昭和57年)

    右から、現穴田支団長、
    松村部長、野口副支団長、
    藤井分団長
    および藤本前副支団長


  • 昭和58年10月、1消防署1消防団制の統合改組により、西消防団神出支団となった。
  • 昭和62年4月、団業務活性化推進委員会の答申を受け、消防団員定数264名となった。
  • 平成3年、緊急指令自動システムを各消防器庫に設置。
    火災発生時の出動指令、また火災などの情報確認に利用され、大変役立っている。しかし、木村顧問(前西消防団長)が力説している、「災害時には電気・通信設備が機能しない場合の有効な通信手段である火の見櫓からの警鐘による合図」を利用できるよう、春の表彰伝達式・ポンプ操法競技大会、防災訓練などの出動合図として警鐘訓練している。

    緊急指令自動システムの点検

  • 平成7年1月17日 阪神淡路大震災発生。西消防団として長田の火災現場に出動。小型ポンプ7台を連結しての消火活動。長い消防歴の中で、最も困難な活動の一つであったが、日頃の訓練が役立ち、西消防団を全国に知らしめた。

    「火の海と天なす黒煙(けむり)、眼下にし、湾岸戦と隊の言う」

    (出動中の団員が湾岸戦争に喩えた地震火災の出動を指揮した、木村前西消防団長の歌)

    応援出動した長田区戸崎通・西代通の火災現場(写真左=消防機動隊提供)と
    活動中の西消防団(写真右=日本消防協会提供)


  • 櫨谷支団の要請を受け、平成18年4月より現在の定員261名となり、神出町民の生命・身体・財産をまもるため日夜活動を行っている。


 神出支団は、西区北部の雌岡山を中心に、約20haの広大な地域に、約8,000人が住み、古くから文化の栄えた農村地域の神出町を所轄区域としています。地形的に水に恵まれず、溜池が水利の要となっている。近年、芋掘り、葡萄狩り等の観光農業、明石海峡大橋が展望できる雌岡山等が、レジャーや憩いの場となり、休日には多くの人が訪れ、また、圃場整備、国道175号線のバイパスの一部完成等により、水利を含む地域環境が変貌し続けている。

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